雑事閑談

倫理観と誠実さ

 最近、Natureという世界有数の学術雑誌に掲載されたSTAP細胞論文に不正があったということが、物議を醸している。筆頭著者の若い女性研究者は、不正とされた結果の図は、普段説明のために使用していた、わかりやすい図を単純ミスでそのまま載せてしまった、と主張している。一方で、その研究者の所属する研究所の調査委員会は、単純ミスで済まされる問題ではなく、不適切性を認識した上で行ったデータの捏造に値し、研究不正であると判断した。
 研究者の端くれでもある私がここで疑問に思うのは、「普段の説明で使っていたわかりやすい図」そのものに加工が施してあったということだ。なぜ、そんな加工をする必要性があったのか?仮に、百歩譲って、加工した方が、決められた短い時間を有効に使って説明できるようになる、としよう。しかし、その場合、確実な意図を持って加工したはずなので、その加工を忘れるはずがないと思うのだが…

 さらに、決定的な点は、Nature誌に掲載が決まる前に、同じく世界有数の学術雑誌Scienceに同様の論文を投稿し、その画像の切り貼りを指摘されていたという点である。この指摘を目にしないはずはなく、この時点で、明らかに不適切性を認識したはずである。この点について、さらに疑問なのは、共著者たちはこの指摘点を知らされなかったのだろうか?ということである。知らされていれば、Science誌に指摘された点が改善されたかどうかを、最優先でチェックするはずなのだが…

 この問題で感じたのが、今回のタイトルである「倫理観と誠実さ」である。実験結果の図を加工することに何の罪悪感もないことが、今回の不正の温床となっている。「本来あるべき姿そのままではなく、何らかの加工をすることによってより良く見せることが、何故悪いの?」日本の若者文化も、このような考え方に変わってきているのではないだろうか?もう数年も前からプリクラ機では、「目元パッチリ機能」、「美脚機能」、「若返り機能」等々、さまざまな機能がついていて、写したその場で加工済みの写真が出てくる。それと似た機能が、市販のデジカメにも付いている機種も出てきた。アメリカや韓国では、若者たちがプチ整形をすることは何の抵抗もないらしく、何度も行う人もいる。写真だけではなく、自分自身も加工する時代が来ているのである。「本物以上」に見せることが、普通の文化になってしまうと、当然のように倫理観も変わってしまうだろう。このような変化に一抹の危機感を覚えるのは、私が年齢を取ったからなのだろうか?

 私の研究室では、「誠実さ」を研究室のモットーの1つとしている。面倒なことや小さなことでも、1つずつ丁寧に、誠意を持って取り組む意識がなければ、研究生活はもとより、社会に出てから信頼される人物になれないと思うからである。前出の女性研究者も、誠意を持って研究にあたってさえいれば、少なくとも、Science誌のコメントを無視してNature誌に投稿することもなかったであろう。1つ1つ誠実に仕事を進めること、高い倫理観を持って仕事に取り組むこと。簡単なようで、なかなか難しい課題である。

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