雑事閑談

感動

 最近、自分の身体と心の変化に戸惑うことがある。テレビドラマなどの何でもないシーンで涙が出てくるのだ。そう、俗に言う、「歳をとって涙腺が緩んだ」現象である。しかし、生理学的には、涙腺の機能が低下して涙が出難くなることはあっても、老化によって「緩む」ことはない。大脳辺縁系、特に扁桃体での感受性が高まることと大脳皮質による情動の抑制のバランスが、これまでと変わってきたことを示している。
 自分ではそれほど感動していないと感じている時に涙するってことは情動の抑制に関わる大脳皮質の機能低下が疑われる。う~ん、そう言えば、忘れっぽいし、やばいかも…

 ところで、民主党の野田内閣が発足する際、民主党代表演説で、書家であり詩人である相田みつを氏の詩の一節「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよなあ」を引用したことから「どじょう内閣」と呼ばれた。その引用元である相田氏の別の詩に、「感動とは、感じて動くと書くんだなあ」がある。なるほど、そこまで先を捉えるか、と物事を深く思考する姿勢に感心する。普通は、物事を見たり聞いたりして、心を動かされることまでに留まり、その先の行動の部分には気が回らないものだ。

 そういえば、私が野球を始めたきっかけも、約45年ほど前の夏の甲子園大会決勝、松山商業対三沢高校の死闘、延長18回引き分け試合を見た直後だった。一緒に見ていた兄貴と二人で感動し、興奮して、「野球やるぞ」って外に飛び出していったのが始まりだ。そう、まさに、感じて動いていたのだ。

 ところが、よく考えると、日常生活の中で感動したことは、ここ数年ないのではないだろうか。もっぱら、テレビ、小説、映画の中。というよりも、感動を求めて、本を読んだり、映画を見たりしている気もする。思い返してみると、少なくともここ数年では、スポーツのテレビ中継でしか感動していないようにも思う。高校野球、サッカーなでしこジャパン、箱根駅伝、などなど。試合までのさまざまな努力が実ったり、実らなかったり、スポーツには非常に高いドラマ性が潜んでいる。このドラマ性に心が反応した時に、心臓が動いたのではないかと思うほどに感動することがある。だから、スポーツは見ていておもしろい。

 「感動」という肥やしによって、人間は精神的に成長するように思う。そう、最近は心底感動しないから精神的成長が止まっているんだろうな。いろんなことに感じ、そして動かなければ…

≪一覧へ戻る

LAB TOPPAGETOP