正月に息子の野球チームの必勝祈願に付き合い、兵庫県伊丹市にある稲名野神社に参拝に行った。非常に歴史のある神社のようで、境内の至る所に古めかしい書き物が飾られていた。近隣に住むチームメートのお父さんの話では、「西国街道がこの辺を通っていて、昆陽池付近に大きな宿坊があったらしい」とのこと。「はて、そういえば、家の近くの箕面市瀬川付近に石畳のような小道があって、そこも西国街道だったような…」
必勝祈願後にグラウンドに戻り、グラウンド開きと雑煮を振るまってもらって、自転車で帰路に付く。途中、旧176号線と中国自動車道の交差する付近に「弁慶の泉」という史跡がある。ちょうど信号が赤になったので、少し立ち寄ってみた。由来を書いた石刻板を読むと、義経の西国落ちの際に、この辺りで多田蔵人行綱らとの戦いになり、弁慶がこの泉で喉を潤したという。
五条大橋で義経の家来になることを誓った弁慶は、義経がその兄、頼朝との対立を避け、九州の後白河院を頼って、西国落ちする警護役として同行した。船出のために尼崎の大物浦へ向かう途中、この西国街道を通ったとされている。
「ふむ、ここでも西国街道か」、と気になって、帰宅後にネットで調べると西国街道を事細かく調べているサイトがあった(西国街道を歩く-十三のいま昔を歩こう)。辿ってみると、なんと息子が小学生時代に箕面市の野球チームに入っていたが、その送り迎えの抜け道がなんと「西国街道」であった。興味をそそられ、長岡京から西宮市武庫川の「髭の渡し」までの連載32編を完読し、それに飽き足らず、長岡京から西国街道の起点である京都東寺までの経路も探すことに。
今回経験したのは、断片的な知識や経験でしかなかったものが一気に繋がる知的楽しさだ。今までどうでもよかったことなのに、知的好奇心が沸々と沸いてくる感覚。そして、点として存在していた知識が線となったことで得られる充足感。これが研究を進める原動力であり、教育者としては学生にこのような感覚になってもらうために必要なものが何かを考える必要がある、と深く感じさせられた1日であった。粋な寄り道に感謝!