雑事閑談

光と陰

 家の近所の街灯が、LEDに変わった。何気なく普段の道を帰っていると、妙に明るいことに気付く。街灯をよく見ると、小さなLEDの列が並んでいるのが微かにわかる。しかし、何故か、身構えている自分にも気付く。これまでの水銀灯?の照度に慣れた私の眼には、違和感があるからか。 …≫続きを見る

スポーツと文化

 先日、読売新聞(2015年12月11日)に、“柔道指導者は国家資格”の記事が載っていた。フランスでは、柔道に限らず様々な競技で、スポーツ指導者の国家資格制度が確立しているという。しかも、柔道では1955年という早い時期から指導者の資格取得が義務付けられ、指導者が職業として成立している。また、間違った指導法による事故から選手を守り、質の高い柔道の維持につながっている。これを裏付けるように、近年の柔道界でのフランスの活躍は目覚しい。 …≫続きを見る

感動

 最近、自分の身体と心の変化に戸惑うことがある。テレビドラマなどの何でもないシーンで涙が出てくるのだ。そう、俗に言う、「歳をとって涙腺が緩んだ」現象である。しかし、生理学的には、涙腺の機能が低下して涙が出難くなることはあっても、老化によって「緩む」ことはない。大脳辺縁系、特に扁桃体での感受性が高まることと大脳皮質による情動の抑制のバランスが、これまでと変わってきたことを示している。 …≫続きを見る

倫理観と誠実さ

 最近、Natureという世界有数の学術雑誌に掲載されたSTAP細胞論文に不正があったということが、物議を醸している。筆頭著者の若い女性研究者は、不正とされた結果の図は、普段説明のために使用していた、わかりやすい図を単純ミスでそのまま載せてしまった、と主張している。一方で、その研究者の所属する研究所の調査委員会は、単純ミスで済まされる問題ではなく、不適切性を認識した上で行ったデータの捏造に値し、研究不正であると判断した。 …≫続きを見る

Base

 我々人間は、無意識下で安定なものを基準とする。窓枠、地面、地平線。何かしら常に安定してそこにある基準(Base)を頼って生きている。おそらく、どんな動物もそうであろう。 その安定が崩れた時、我々の五感は基準を失い動揺する。船酔いや車酔いは床面の揺れを予測できずに、視覚と平衡感覚の感覚統合が上手くいかないことが原因で生じる。つまり、自分の中に確固とした基準座標系を作れないことが原因である。 …≫続きを見る

点から線へ

 正月に息子の野球チームの必勝祈願に付き合い、兵庫県伊丹市にある稲名野神社に参拝に行った。非常に歴史のある神社のようで、境内の至る所に古めかしい書き物が飾られていた。近隣に住むチームメートのお父さんの話では、「西国街道がこの辺を通っていて、昆陽池付近に大きな宿坊があったらしい」とのこと。「はて、そういえば、家の近くの箕面市瀬川付近に石畳のような小道があって、そこも西国街道だったような…」 …≫続きを見る

大きな器と小さな器

 私の研究室には観葉植物がある。といっても、週に何回か少し水をやるだけで、ほとんど手入れもせず、ほったらかしになっている。それでも、暑い夏や寒い冬にも枯れずに、時には花(のようなもの)をつける非常に生命力の強い植物である。この観葉植物の名前は、「Song of Jamaica:ソング・オブ・ジャマイカ」。枝を適当に切って、挿し木をすると簡単に鉢を増やすことができるので、今では7鉢にもなってしまった。 …≫続きを見る

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