雑事閑談

スポーツと文化

 先日、読売新聞(2015年12月11日)に、“柔道指導者は国家資格”の記事が載っていた。フランスでは、柔道に限らず様々な競技で、スポーツ指導者の国家資格制度が確立しているという。しかも、柔道では1955年という早い時期から指導者の資格取得が義務付けられ、指導者が職業として成立している。また、間違った指導法による事故から選手を守り、質の高い柔道の維持につながっている。これを裏付けるように、近年の柔道界でのフランスの活躍は目覚しい。その指導法の中には、日本人の指導法や礼儀作法まで取り入れられているという。

 翻って、日本の柔道界で、近年何が起きていたのか?指導という名の暴力、セクハラ...そして、オリンピックのメダル数の激減。日本の柔道界は、今度のリオデジャネイロ五輪で復活をかけて闘う。是非とも、心技体ともに復活を成し遂げてもらいたい。

 さて、日本の国民的スポーツである野球はどうだろうか?これを話すと、多くの人に驚かれるのだが、野球には指導者の資格制度はない。何故、ないのか?その答えの一つとなる、おもしろいデータが先日の日本野球科学研究会第3回大会で発表された。ある地方で小学生から高校生までの指導者にアンケート調査を行ったところ、半数以上の指導者が資格制度は不要だと考えているのだ。その理由は定かではないが、自分自身も資格制度のない中で野球を行ってきて、今現在も資格なしでも指導できているのだから、資格自体に意味はないと考えているのだろうか?

 今指導している自分のことを考えるのではなく、指導されている選手、その選手の将来、そして将来野球を始めようと入部や入団してくる選手たちが、常に、やる気にみなぎり、安全に野球ができるようにするためには、何が必要か、それを考える必要がある。そのような大局的な視点でものを考えると、為すべき方向性は決まってくるように思うのだが。野球人口がどんどん減っている理由には、指導方法の要因も少なからず関係していように思う。

 古いものを大切にするという日本人の良き文化は失われつつあるものの、新しいことにチャレンジするという気質を獲得するにはまだ時間がかかりそうである。

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