雑事閑談

光と陰

 家の近所の街灯が、LEDに変わった。何気なく普段の道を帰っていると、妙に明るいことに気付く。街灯をよく見ると、小さなLEDの列が並んでいるのが微かにわかる。しかし、何故か、身構えている自分にも気付く。これまでの水銀灯?の照度に慣れた私の眼には、違和感があるからか。

 今までの街灯だとやんわりと周囲を照らしていたため、それほど明るくはなかったが、全体を把握できる状態にあった。しかし、今回のLEDはかなり明るいために、その光の後ろ側というか、先の方というか、光のあるその先が見えないのである。車で譬えると、対向車のヘッドライトのすぐ後ろが見えない状況と同じなのである。そう、明るくなったのに、暗いのだ。

 この光と陰のコントラストから、いろんなことが頭をよぎった。まず一つめは、潜在意識の中の自己防衛。普段は何も考えず、というか、多くはぼんやりと仕事のことなどを考えて歩いていて、他のことを何も気にしていないつもりでいたが、暗がりから何かが出て来やしないかと、無意識に視線を向けていたことがわかる。我ながら、ビビリ屋だった?ことがわかり、思わず苦笑い。

 2つめは、人間関係における光と陰。上述した光と陰の関係は、物理的な光の問題だけでなく、人間関係でも同じような現象がありそうだ。光の当たる人とその陰になってしまう人。光の当て方、当たり方で、第三者からみた印象は大いに変わるであろう。この光加減が人間の精神的成長に大きな影響を及ぼすことは間違いない。教育者として心に留めておきたい。

 最後に、最澄の言葉「一燈照隅、万燈照国」。人間一人一人はわずかな力でも、片隅でも照らし続けることによって、それに共感するものが現れ、二燈となり三燈となり、万人になれば国が明るく照らされるようになるということ。私は自分が確信を持っていることや重要性を感じていることを果たして照らし続けてられているのか?

 少し話は飛躍するかもしれないが、日本で安全に暮らせていたのは、日本人の心の中に、小さな善意を地道に続けられる辛抱強さがあったからだと思っている。日本の安全神話が崩れ、あちこちでとんでもない事件が起き、乳幼児への虐待も頻繁に起きている。正しいことや重要なことを声を上げて主張し続ける頑固親父が少なかった所為かもしれない。もう一度「一燈照隅、万燈照国」を心に刻みたい。

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